家族葬を選択する心理
近年、家族葬を選択する方が多くなってきているように感じられます。
家族葬という言葉が認知され、広がってきた事はもちろんですが、なぜ家族葬を選択する方が増えてきているのでしょうか?
様々な理由があるとは思いますが、今回はその点について注意すべき点なども踏まえ考えていきましょう。
なぜ家族葬なのか
なぜ家族葬を選択するのか?様々な理由があると思いますが、理由として聞くことの多いものと、その理由についての注意点などをまとめてみようと思います。
故人の希望だった
最後は家族のみで慎まやかに葬儀を上げてほしいといった希望や、葬儀にはお金をかけずに残った家族のためにお金を使ってほしい等、理由は様々なようです。
それらの希望を踏まえて家族葬を選択する方も多くいます。
ポイント
故人の希望を取り入れつつ、どのような葬儀の形がベストなのかを考えて選択する必要があるのかもしれません。
葬儀に人が来ない?
亡くなられた方が高齢で、友人等もすでに亡くなられている方も多かったり、外との付き合いがあまりなかったので葬儀を行っても参列者が来ないだろうと、家族葬を選択される方もいます。
ポイント
この場合、故人だけでなく喪主や家族の付き合い関係等も考える必要があるので注意が必要です。
喪主や家族が会社で役職についていたり、プライベートでの付き合いが多かったりする場合、故人との直接の関わりが少なくとも葬儀に参列される方が多くなるケースがあります。
逆の立場で考えた場合、自分の友人の家族が亡くなり葬儀の知らせを聞けば葬儀に顔を出すのではないでしょうか?
そう考えると、故人だけでなく家族の付き合い等も考えどのような形態の葬儀を選択する必要があるのかもしれません。
参列者に迷惑がかかる?
遠方から参列してもらうのは迷惑ではなかろうか、日程に余裕がなく急遽参列してもらうのは迷惑ではなかろうかと、家族葬を選択される方もいます。
ポイント
葬儀は結婚式等と違い招待制ではありません。
遠方から参列したり急な日程に対応しきれない等で参列できない場合は弔電を出したり、後日挨拶に行くなど、知らせを受けた側にも選択肢はあります。
無理をして参列されているのでは?と考えてしまいがちですが、参列された方は故人を想い、最後のお別れをしに来ています。
故人の為でもあり、参列者自身の為でもあります。
逆の立場で考えると、親交のあった友人との最後の別れの場には多少無理をしてでも行きたいと思いませんか?
そう考えると、最後の別れの場に参列できる選択肢を持たせてあげることも大切なのかもしれません。
様々な立場から考えたうえで、どのような形態の葬儀を選択するかを考える必要があるのかもしれません。
費用がかけられない
単純に予算の関係上、大きな葬儀はできないので身内だけで小規模な葬儀にしようと、家族葬を選択される方もいます。
ポイント
以前、記事にも書きましたが「家族葬=安い」と考えている方も多くいらっしゃしますが、実際のところケースバイケースです。
細かい内容はコチラの内容を読んでいただければと思います。
葬儀にかける費用が限られている場合、まず何を考えなくてはいけないかというと、葬儀の形態ではなく、いかに葬儀費用を抑えるか?の点につきます。
どのように葬儀をすれば費用が抑えられるのか?についてはコチラの記事にまとめていますので、興味のある方は読んでみてください。
まとめます
家族葬が多く受け入れられているのには様々な理由があります。
核家族化による親戚付き合いの縮小化や、高齢化社会による故人の友人の高齢化や既に亡くなってしまっていたりで参列できない、近隣との付き合いの希薄化など、少し考えただけでもこれだけ出てきます。
他にも細かい理由は多々ありますが、このような時代の変化に加え、マスコミなどの情報も相まり、家族葬が広く認知され選択されるようになりました。
しかし、家族葬をイメージだけで選択したことにより、問題やトラブルが起きているのも事実です。
最近はインターネトにも家族葬の経験談や問題点などを指摘する内容の記事が出てきていることからも、家族葬はメリットだけではなくデメリットがあることが分かります。
家族葬を選択する理由は様々だと思いますが、初めから家族葬しか検討していないのであれば、他の形態の葬儀に関しても検討してみる余地があるのかもしれません。
葬家の立場からだけではなく、参列者の側に立って、第三者の視点で様々な問題点を考え、検討することも大切だと思います。
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今一度「家族葬」について考えるいい機会かもせれませんね!
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自宅での葬儀が減少している理由
葬儀といえば自宅か菩提寺が当たり前だった時代もありましたが、現在では自宅での葬儀は都心部を中心に激減しています。
最近では葬儀の縮小化により「故人の好きだった自宅での葬儀をしたい」というニーズも増えてきてはいるものの、やはり葬儀社の持つ葬儀場や公営斎場等での葬儀が大部分を占めています。
自宅での葬儀がなぜ減少したなぜのか?様々な理由があると思いますが、今回は私の個人的見解も含め考えていきたいと思います。
葬儀への関わり方の時代的変化
村から会社へ、会社から個人へ
村(地域コミュニティ)での葬儀
もともと葬儀は村社会で行うものでした。
ちなみに「村八分」という言葉がありますが、なぜ「八分」なのか?
残りの「二分」は火事と葬儀の事を指します。
火事は放っておくと火が燃え広がり村全体に被害を及ぼし、葬儀は遺体をそのままにしておくと疫病が広がる可能性がある。
それらを避けるため、共同体としての防衛策がこの「残り二分」なのです。
葬儀は人手もかかり、村として大きな行事でした。
会社(社会コミュニティ)での葬儀
時代と共に産業が発展していき、一次産業から二次産業、三次産業へと移り変わると都心へ人口が集中し、地域コミュニティが担っていた葬儀は会社へと引き継がれることになります。
高度経済成長期からの景気の良かった時代、会社は終身雇用が前提であり、会社員の葬儀にもある程度協力的でした。
村では総動員だった葬儀は、会社により総動員ではないにしろ人手を出し社員に協力するのが当たり前でした。
個人(身内)での葬儀
バブルの崩壊により余裕のなくなった会社に加え、高齢化社会が進むことにより現役社員の葬儀の減少や退社して数十年も経つOBの事を知っている社員も少ない、それらの理由により会社が葬儀に関わることは徐々に減っていきました。
そこで葬儀は個のものとなり、今に至るのです。
関わり方が変わることによる変化
村社会で葬儀を行っていた時は自宅や菩提寺での葬儀が基本であり、規模が大きくなれば集会場を使用する等で収まっていました。
しかし、村から会社に関わりが変わると、好景気も相まって葬儀の規模は徐々に大きくなっていき、自宅で葬儀を行うのは困難になってくると、葬儀社は葬儀に特化した式場を建て、葬儀を式場で行うようになっていきます。
式場で葬儀を行う事が当たり前になると、会社から個に葬儀の主体が移り、規模が縮小したとしても葬儀は式場で行うものだという慣習になり、葬儀社もニーズに合わせ家族葬専門の式場を建てたりして、現在の式場を使用する葬儀の形になっていると考えられます。
物理的変化による影響
前項で書いたように時代と共に葬儀へ関わるコミュニティは年々変化していきますが、それと共に、そもそも住居も大きな変化をしています。
もともと各地方にて村が形成されていた時代、人口は一極集中する事もなく、家は平屋の一軒家、もしくは長屋等が多かったの対し、産業が発展していくと都心部に人口が集中することとなります。
そうすると、都心部を中心にマンションやアパート、団地等の多階層の住宅が増えていき、物理的に自宅での葬儀が難しくなっていきます。
また、住宅の密集化により自宅で葬儀を行う事による近隣への迷惑等も考えると、式場を使用するという選択が一般的になっているのかもしれません。
また、火葬が一般的になり、自宅から火葬場までの移動や手間を考え、火葬場に併設されている斎場を使用するケースも多いように感じます。
その他の要因
これまでは時代の変化による比較的受動的な要因でしたが、葬儀屋として自宅での葬儀の減少を加速している人為的要因があると考えています。
自宅で葬儀をするということ
本来、葬儀屋とは葬儀の用具(葬具)を販売、レンタルするだけの仕事でした。
そこから徐々に葬儀一体をお世話するという形に変化していきました。
自宅で葬儀をするということは、一件一件の違う形状や間取りをしている家で葬儀を施工するということです。
毎回違う家で祭壇を組み、幕を張り、会場を設営していきます。
それこそ経験を積み、技を磨かなければ素早く会場設営などできません。
ある種職人の世界であり、祭壇の設営などはかなりの力仕事になります。
自宅で葬儀をするということはそういうことなのです。
式場で葬義をするということ
時代の流れと共に自社の式場で葬儀をする流れがやってきます。
するとどうでしょうか、毎回祭壇を運ばなくてもよく、決まった形状の会場に幕を張り、数パターンのレイアウトで会場を設営するだけで良いのです。
少し手の込んだ生花祭壇を組んだとしても、そのほとんどは花屋の仕事です。
結果的に葬儀屋は自宅で葬義を行うよりも式場で葬儀を行った方が労力は少ないのです。
自宅での葬儀が大変だと知っている葬儀屋さんは自社式場や公営斎場を使用することを葬家に勧めます。
そうすることで、自然と式場を使用する時代の流れに、更に人為的作用を加えたことにより、流れを加速させるだけでなく、一般的にそれを定着させたのではないかと、個人的には思うのです。
まとめます
自宅から式場に葬儀の場が移る事で葬家の負担も少なくなっていますし、前項に書いたように葬儀社の負担も少なくなっているのは事実です。
そして、その流れに反して自宅で葬儀を行いたいと望むニーズが最近出てきているのも事実です。
どの形態が正解かは葬儀を行った当事者にしか分からないかもしれません。
しかし、どのような経緯で葬儀が今の形になっていったのかを考えることも必要なのかもしれせんね。
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今一度「葬儀の形態」や「葬儀の今までの成り立ち」について考えるいい機会かもしれませんね!
直送・火葬式に思うこと
この記事でも書いていますが簡素化への歩みを進め、少しずつですが確実に増えてきている直送や火葬式。
今回は葬儀屋とか云々を抜きにして個人的に思う事を簡単に書いていこうと思います。
あくまでも主観であり、違う感性の方や気分を害される方もいるかと思います。
そのような方は本記事を「華麗にスルー」していただくか「ゆっくりと閉じて」いただければと思います。
※2019-4-9追記あり
法的観点
現在、日本では一部の地域では土葬の分が残っており埋葬しているところもありますが、概ね99%が火葬になっていると思います。
火葬するにせよ埋葬するにせよ個人で勝手に行う事はできません。
勝手にしちゃうと死体損壊罪や死体遺棄罪になってしまうので注意です。
死亡届
まず、戸籍法第86条、第87条により親族や同居者等は死亡届の提出義務があります。
詳しくはコチラ法務省ウェブサイト「死亡届」をご確認ください。
死亡診断書(死亡検案書)※2019-4-9追記
死亡届を提出するときに必要な書類です。
死亡日時や死因等々が書かれているもので、病院から発行されます。
診断書と検案書は同じ物ですが、大まかに医師からみて「自分の患者の場合は診断書」「自分の患者ではなく検死等をした場合が検案書」となります。
病院で亡くなった場合や在宅医療であった場合はその病院や担当医師から、事故死や孤独死等で警察にて検死が必要な場合は検死を担当した病院、医師に料金を払い貰います。
診断書は死亡届と同じ用紙に記入するようになっているので、診断書を貰ったら同じ用紙の死亡届記入欄に記入をして提出することになります。
埋葬許可証・火葬許可証
死亡届が受理されると市区町村の役所及び役場から埋葬許可証もしくは火葬許可証、埋火葬許可証が発行されます。
これらの許可証がないと火葬場では火葬をしてもらえませんし、納骨や土葬もしてもらえません。
詳しくはコチラ厚生労働省ウェブサイト「墓地、埋葬等に関する法律」をご確認ください。
現実問題
一般的に考えて、身内の方が亡くなった場合、何もせずに放置しておく事は難しいと思います。
法的に死亡届を出さないといけないので、おのずと埋火葬許可証が発行されます。
死亡届を出さずに遺体を自宅に保管し、年金を不正受給していたなんてニュースもありましたが例外でしょう。
エンバーミング等で遺体を綺麗に保つことも可能ですが、エンバーミング協会も施工後50日を基準に火葬、埋葬する事を取り決めていたり、そのまま遺体を放置することは現実的ではないので火葬したり土葬する必要が出てきます。
言い方は悪いですが、その時に必要最低限の処理として火葬をするために直葬なり火葬式が利用されるのです。
誤解が無いに言っておきますが、予算の都合上や故人の希望により行われる直葬・火葬式はこの限りではありません。
しかし残念ながら、まるで遺体を焼却処分するような感覚でただ火葬すればいいと思っている方がいるのも事実です。
個人的に思うこと
今まで葬儀を通じて色々な方と接してきました。
そしてごく少数ですが、残念ながら上記の様な考え方の方にも出会いました。
遺体を家に帰らせたくない、できるだけ早く火葬して欲しい、遺骨はいらないから持ち帰りたくない等「直送・火葬式」を希望される方の中にはこのような方も少数ですがいらっしゃいます。
決してお金がないわけでもなく、生前に故人の方との関係が上手くいっていなかったり、遺産を少しでも残しておきたい等、様々な理由があるでしょう。
だからといって個人的には遺体をまるでゴミの様に扱ったり思ったりはしてほしくはないと思ってしまいます。
確かに人間は死んでしまい遺体になったら法的には物として扱われることもあります。
霊柩車などは道路運送法や貨物自動車運送事業法により「貨物車」の扱いとないり、輸送している遺体は一般的な貨物と同じ扱いになります。
しかし、死体遺棄罪や死体損壊罪等、遺体はただの物ではなく尊厳のある物だという法律もあります。
遺産なり関係の拗れなり、様々な理由があるにせよ、今まで関係を持っていた、持ったことのある「人」として最後まで扱って欲しいと思ってしまうのは都合がよすぎるでしょうか。
今回は別段有益な情報もなく、個人的な想いを書くだけのものになってしまい申し訳ないです。
今後は引き続き「少しでも有益な」そして「考えるきっかけ作り」ができるような内容のものを書いければと思います。
葬儀社の感動の押し売りに辟易する
感動葬儀って言葉を聞いたことはありますか?
葬儀の縮小が顕著になり売り上げが低下していく中、葬儀社が売り上げを伸ばすために講じた策の一つが「感動」を商品にする事でした。
そんな商品として扱われることになった「感動」について考えていきたいと思います。
感動を演出するということ
勘違いしていない?
葬家と打ち合わせを重ねたうえで作り上げる葬儀の中に感動をうまく組み込むのであれば良いのですが、私が最近多いなと感じているのは「小手先」の演出による感動、チープな感動の演出です。
特に感動の演出をすることに酔っている葬儀社や担当者は最悪です。
広告などに「私たちはこんなことをして葬家の方から感謝のお言葉をいただきました」なんてフレーズも見ますね。
中には打ち合わせもせずに「サプライズでこんな演出をしたら凄く喜んでいただいた」など、独りよがりな演出に感じてしまうことも散見されます。
感動を演出するということは、果たしてそういうことなのでしょうか?
葬家の気持ち
宗教感の薄れにより葬儀に感動の要素が入ってくるのは必然かもしれませんが、望んでもいない感動演出をされたとき、葬家の気持ちはどうでしょうか?
内容に本当に感動し、葬儀社や担当者に感謝する方もいるでしょう。
逆に、望んでもいない事をやられ、感動したでしょ?と言われても困惑するどころか憤慨してしまう方もいるかもしれません。
内心そう思っていたとしても表に出せない場合も多いでしょう。
「いまいちだったけど考えてやってくれたのだ」「それなりの費用をかけているのだからいまいちだったと思いたくない」などと納得していまう葬家もいると思います。
本来「葬家の気持ちに寄り添い、葬家のためにやっている」というモチベーションだったものから、感動を演出することにより売り上げが伸ばせると感じ「感動を与えたい、感動を商品化して売りたい」という葬儀社の独りよがり感が表に出てきているように感じてしまいます。
寒々してしまう演出の数々
今まで見聞きしてきた中で感じた、あくまでも個人的な感想です。
異なる感性の方、気分を害される方も多くいると思いますので、先に断っておきます。
そのような方はスルーしていただくか、ゆっくりと本記事を閉じていただければと思います。
故人の好きだった色の小物を身に着けて
これは参列者も巻き込んだ演出です。
故人の好きだった〇〇色の小物を葬家と参列者に配り身に着けてもらい葬儀に参列してもらい、その小物は持ち帰ってもらう形になります。
好きな色の小物を身に着けることを強要される参列者も大変です。
男性や女性、着ているものなど参列者により違うので身に着けるのも一苦労する場合もあります。
葬家も小物の費用を負担する必要がありますし、受付にて小物を一人一人配り身に着けてもらうよう説明する必要もあります。
これらの労力を使ってまでどれほどの感動が得られるのだろうかと思ってしまいます。
結婚式ができなっかたおばあちゃんに
これは葬儀の担当者が葬家にサプライズで演出したものです。
故人が結婚した時、時代の影響もあったのか結婚式ができなかったエピソード聞いた葬儀社の担当者は、先に亡くなっていた故人の夫と天国で結婚式を挙げてもらおうと柩の中にウエディングドレスを入れてお別れをする演出をサプライズで行ったようです。
葬家はえらく感動してくれたみたいなのですが、一つ疑問に思ってしまうのは「そのドレスの費用はどこから出たのだろうか」という点です。
葬儀社の持ち出しということも考えにくいので、その費用はしれっと葬家に請求されているのだろうと考えると腑に落ちない部分も出てきます。
故人の好物であり得意料理のカレーライス
故人の好きだった料理を通夜振る舞いや清めの料理にする演出です。
これは参列者も巻き込まれます。
食事の席に着いたとき、通常の料理を想像していたら想像の斜め上を行くカレーが出てきます。
その時に故人が好きで得意料理だった事を説明されたとして、故人にカレーを作ってもらったことのある葬家や一部の参列者以外は状況が呑み込めないでしょう。
今回はカレーライスでしたが、その他様々な料理で代用可能で、カレー以外にもキッシュだったりパスタ等様々なケースを聞きます。
葬儀の料理で斜め上のものが提供されたときの空気感はどんなものなのかと思ってしまいます。
その他様々な演出
その他にもたくさんの演出を見聞きします。
中にはよく考えられている演出もありますが、その演出は自分たちが酔っているだけのものも散見されます。
日々葬儀社は葬家に感動を与えようと様々努力しているようですが、努力の方向性はあっているのだろうかと思ってしまいます。
葬儀に意図的な感動は必要なのか
葬儀は故人とのお別れの場でもあるので少なからず感動的な場面は存在します。
しかし、それは意図的な感動ではなく、不意に訪れる感動的な場面だと思います。
今までに紹介した意図して作る感動のシーンは葬家の事よりも葬儀社や担当者が感動を与える事が主になっているようにも感じられ、最終的にはその感動のシーンに自分たちが酔いしれるためだけのツールになっているのではないかとすら感じてしまいます。
家族葬や無宗教の自由葬が増えてきた背景もあり、思い出(心)に残る葬儀が重要視される空気感の中、葬儀に感動は少なからず必要だとは思います。
ただ、その感動は葬儀社の独りよがりのものではなく、葬家との打ち合わせを重ね葬家と共に作り上げていく事が大切なのではないかと思います。
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「葬儀での感動」や「自分の葬儀や家族の葬儀」について、今一度考えてみるいい機会かもしれませんね!
家族葬は安くない??
家族葬というワードがネットやマスコミで多く使われ、世間にもしっかりと浸透しているのではないでしょうか。
そんな中、「家族葬」という言葉は知っていても実際にしっかりと説明できる人は少ないのではないでしょうか?
そもそも家族葬について明確な定義って何なのでしょうか?
ふと、そんなことを感じたのであらためて家族葬について考えてみようかと思います。
なぜ家族葬が安いと言われているか
一般的に言われている家族葬が安くできる主な理由として以下のようなものがあると思います。
- 家族葬にすると規模が小さくなるので葬儀費用が抑えられる
- 親族しか呼ばなくていいので料理代や返礼品などの費用が抑えられる
- 参列者が少ないので会場を小さくできるので費用が抑えられる
そもそも家族葬って?
家族や近親者等の少人数で行うお葬式の事を一般的に家族葬といいます。
「家族葬」と「密葬」の違い
家族葬と密葬を混同している方も見受けられます。
本来「密葬」とは参列者が多数になることが予測される場合、事前に近親者のみで葬儀を行い、その後に「本葬」や「社葬」、「お別れ会」を行うことを前提としています。
本葬や社葬、お別れ会を前提としない密葬の事を家族葬と呼ぶようになっていったと考えてもいいのかもしれません。
どこまで呼べばいいのか
家族葬をすると決まった時、葬家の方が悩まれるのが「どこまでの付き合いの人を呼べばいいのか?呼ぶべきなのか?」ではないでしょうか。
- 家族だけで行うものなのか(家族以外は一切呼ばないのか)
- ほとんど付き合いのない親戚にも声をかけたほ方がいいのか
- 故人と親しくしていた友人等には声をかけてもいいのか
家族葬の案内(お声かけ)をする範囲には決まりがないので、上のように悩まれたときに明確な答えは有りません。
あくまでも家族や近親者、親しかった方などの少人数のお葬式という認識で、そこに正解や間違いはありません。
家族葬にする理由
家族葬を選択する理由は様々だと思いますが、話を聞いていると以下の2つのケースが多いように感じます。
安いから
家族葬をしたいと言われる方の理由として「費用が抑えられるから」というものが多いのではないでしょうか。
「何かで家族葬だと安く出来ると見たので家族葬で!」と開口一番に言われることもあります。
一概には言えませんが「費用を抑えたい」「でも何もしないのは気が引ける」といった場合のケースです。
最後は家族のみで過ごしたい
お葬式の時に「参列者が多くいると故人との最後の時間をゆっくりと過ごせないから」と家族葬を希望される方もいらっしゃいます。
費用面は関係なく「故人との別れをゆっくり過ごしたい」「参列者に気を遣ってばかりで故人との時間が取れないのは避けたい」といった場合のケースです。
家族葬と一般葬の違い
大きな違いは前項に書いた通り参列者の数です。
葬儀自体の内容はどちらも大きく変わりません。
そのため相互扶助の意味合いのあるお香典が家族葬は集まりにくく、逆に費用負担が大きくなってしまう場合もあります。
香典の考え方
相互扶助の意味合いがあると書きましたが、現代で香典というと金銭の事を意味する場合が多いです。
「これで故人の好きだったものをお供えしてください」「これで葬儀費用の負担が少なくなれば」という故人への弔いや、助け合いの意味合いが根に残る葬送習慣の一部だと私は考えます。
歴史を遡ると更に深い意味合いや確立された背景等様々もあるのですが、今回は簡単に個人的な考えまでにしておきたいと思います。
香典が葬儀費用を軽減するのか?
少し具体的な数字で考えていきたいと思います。
数字とか難しい話は勘弁してくれ!という方は飛ばしても結構です(笑)
以下の数字は株式会社鎌倉新書さんが実施したアンケート 「第3回お葬式に関する全国調査」アンケート結果|いい葬儀 *1を参考にさせていただきました。
香典の合計金額
香典合計額の全国平均は73.8万円
参列者の人数
参列者の全国平均人数は64名
葬儀の飲食の費用
飲食費用の全国平均は29.3万円
返礼品の費用
返礼品の全国平均額は31.8万円
各平均値から割り出す一人当たりの費用
香典:1.2万円
飲食費用:0.5万円
返礼品:0.5万円
1.2-0.5-0.5=0.2
参列者一人当たり約2000円が香典により葬儀費用を負担してもらえる計算になります。
もし、一般的な葬儀をして参列者が全国平均の64名だった場合、葬儀費用のうち12.8万円を参列者の方に負担してもらえる事になります。
あくまでも平均値で計算したので実際の数字は前後すると思いますが、それでも参列者によるお香典は葬儀費用の一部を負担してもらえる場合が多いと思います。
家族葬のメリット
- 故人とのお別れを少人数でゆっくりとできる
- 参列者に気を遣う事がなく葬家の精神的負担が少ない
- 参列者も少ないので形式を気にせずに故人や家族の希望の葬儀ができる
- 近親者のみの場合は見栄を張らずに小規模な葬儀にできる
家族葬のデメリット
- 参列者が少ないので香典が少なくなる
- 家族葬と案内していたのに当日参列され、急な対応が必要になる場合がある
- 家族と参列者との間に認識のズレが生じた場合トラブルに発展することがある
- 親戚等から「お世話になった人も呼ばないで...」等と言われる場合もある
- 後から亡くなった事を知った方が自宅に弔問に訪れることがある
- 葬儀に参列したかったと後々言われることがある
- 上記のように葬儀が終わった後に色々と苦労することが多い
結局家族葬は安いのか?
個人的見解では「家族葬は決して安くはないと思っている」です。
規模が小さくなる事によるメリットも少なからずありますし、考え方は様々だと思いますが、前項で計算した通り香典による費用負担を考えた場合は普通に葬儀をした方が安くなるのではないか?と思います。
葬儀費用を抑えたいという理由での家族葬の選択には疑問が残ります。
費用を抑えたいのであれば、同程度の葬儀を普通に行うことが一番だと思いますし、ストレートに葬儀社に「予算は○○万円です」そして「それでも葬儀をしっかりしてあげたい」と伝えるのが一番だと思います。
良い葬儀社はそこで色々な提案をしてくれはずです。
逆に「では家族葬にしましょう」「1日葬や直葬などもありますよ」などと言ってくる葬儀社は信頼できないかもしれません。
家族でのお別れを大切にしたい場合や最後の時間をゆっくりと過ごしたいと考えている方には家族葬は良い選択といえるかもしれません。
あなたにとって家族葬はベストだと思いますか?
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今一度「家族葬」について考えてみるいい機会かもしれませんね!
*1:参考データ
調査名:第3回お葬式に関する全国調査
調査実施者:株式会社鎌倉新書
調査対象:直近2年以内に葬儀を行った(携わった)経験のある日本全国の40歳以上の男女
調査手法:株式会社ネオマーケティングが運営するアンケート専門サイト「アイリサーチ」を活用したインターネット調査
調査期間:2017.10.24~2017.10.26
有効回答数:1999件
病院で紹介された葬儀社って??
病院で身内が亡くなると葬儀社を病院の方から紹介される事があります。
なぜ病院の方から紹介されるのか?
そして紹介された葬儀社に頼まないといけないのか?
紹介された葬儀社を断ってもいいのか?
その辺りについて考えていきましょう。
なぜ紹介されるのか
まず第一になんで病院から葬儀社が紹介されるのか?と疑問に思う方もいると思いますので、そこから私の知っているケースになりますが簡単に説明していきたいと思います。
仕組みは?
どのような仕組みで紹介されるのかというと、葬儀社が病院側に金銭を支払って亡くなった方の家族を紹介してもらうという形になっています。
葬儀社は病院に金銭だけでなく様々な形で協力をして葬家を紹介してもらう努力をしています。
私の聞いたケースだと、病院の送迎バスを葬儀社が運営していたりなど、本当に様々な形で紹介してもらえるように苦心しているようです。
当然、葬儀社側のメリットは葬家を紹介してもらえる事です。
逆にいうと、そこまでしてでも紹介してもらうことで、その負担を上回る利益が出るということでしょう。
病院側のメリットとしては紹介料をもらえることはもちろんですが、亡くなった方をできるだけ早くお家に帰してもらえる点があります。
病院側としてもいつまでも葬儀社が決まらずに病院に居残ってもらっては困るのでしょう。
このようにお互いのメリットによって葬儀社を紹介するという仕組みがという成り立っているのです。
断ってもいいの?
病院から紹介された葬儀社ってそもそも断れるものなのでしょうか。
今までお世話になっていた病院からの紹介だから「断るのは悪い気がする」という方もいるでしょうが、断ること自体は全く問題ありません。
断るときは「お願いしている葬儀社がもうあるので」「知り合いに葬儀社がいるので」などといえば病院側も納得してくれます。
断る時の注意点
断るときに注意いなければいけないのが断るタイミングです。
病院から紹介された段階で断るのであれば問題ないでしょうが、病院から自宅まで個人を運んだ後だったりすると厄介です。
葬儀社からしたら移動するだけでも料金が発生しているので、そこで葬儀を受注できなければタダ働きをしただけになってしまいます。
そこで葬儀社は何としてでもい葬儀を受注しようするか、病院から自宅までの搬送料を請求するしかありません。
この時請求される搬送料は一般的に葬儀プランのセットに含まれるものとは違い、単発料金なので高額になる傾向があります。
紹介された葬儀社ってどうなの?
結局紹介された葬儀社にお願いすべきなのか?ですが、前項で書いたように良くも悪くも病院に紹介料を支払っている点は頭に入れておく必要があります。
メリット
紹介された葬儀社を選ぶメリットとして一番が、葬儀社の検討をしなくて済むという点です。
事前に数社の比較をしたり、知り合いに紹介された葬儀社がない場合、急に葬儀社を探すことは困難かとおもいます。
そんな時に病院から紹介してもらえる葬儀社の存在は大きく、大きなメリットになるのではないでしょうか。
デメリット
前項で書いた通り紹介料を払っている場合、その紹介料は当然ながら葬儀費用に上乗せされています。
これはどの業種でも同じですが、宣伝広告費は売上から計上されるので当然と言えますが、この病院から紹介をもらうためにかけている広告宣伝費が金額はそれなりに大きく、その金額が大きくなればなるほど、他の葬儀社よりも葬儀費用が高くなっていしまいます。
内容に関して手を抜いたりはしないはずですので、やはり大きなデメリットだと言えると思います。
まとめます
結局のところ、葬儀に関して事前準備をしている場合、病院でしょうかいされた葬儀社を選択するメリットは少ないと思います。
病院から葬儀社そ紹介された場合は、その場の雰囲気で事を進めるのではなく、よく考えて選択をする事が大切なのかもしれません。
また、近年では終活などの動きが活発になった影響などもあり、病院の紹介による葬儀の受注は少なくなっているのが現状だと思います。
そのため病院に大きな金額を支払ってまで紹介を得ようとする葬儀社が少なているように思います。
病院側は上に書いた通り病院に長時間居座られるのも困ってしまうので、紹介料などを貰っていなくても葬儀社のパンフレットを置いたりしているケースもあります。
一概に病院から紹介された葬儀社が紹介料などの関係で葬儀費用が高いと言い切る事はできませんので、その点は注意しないといけないところですね。
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「葬儀社の選び方」や「紹介されたときにどう対処するか」など、今一度考えてみるいい機会かもしれませんね!
葬儀は誰のためにあるのか
近年では従来の形式にとらわれない様々な形の葬儀があり、葬儀に対する考えや関わり方が多種多様になってきていると感じます。
そこで、そもそも葬儀とは誰のために行うのか?というところにスポットをあて考えていきたいと思います。
故人のため
やはり葬儀は一般的に故人の為に行うのが大前提となるのではないでしょうか?
故人を偲び、故人に感謝をする場としての意味合いが強いと感じます。
仏式では僧侶がお経を上げることにより成仏をしてもらうなど、仏式に限らず各宗教や宗派による儀式は故人のためにあると言えます。
故人の好きだったお花や物で最後を綺麗に飾ってあげたりと、故人の事を想い考え葬儀を行うことは「故人のために葬儀を行っている」といえるのではないでしょうか。
残された家族ため
残された家族が故人とのお別れをするために行うのはもちろん、ご遺体をお骨にし埋葬や散骨するため等、物理的な意味合いも当然ながらあると思います。
しかし、お通夜に夜通し故人との時間を過ごして感謝の伝え、思い出を回想したり、告別式で故人との最後の別れをし、火葬後にお骨になった姿を見て「亡くなったのだな」と実感される方も多くいるかと思います。
故人への想いが強い方ほど、これらの「最後の儀式」を行うことで、実感できていなかった故人の死を受け止め、気持ちを整理することへ繋がっていくのだと思います。
残された友人のため
家族と同様に故人の死を受け止め、気持ちを整理したりするのに葬儀に参列する事は大きな役割をもっているのではないでしょうか。
柩の中にいる故人に会ったり、通夜振る舞いの席で故人との思い出を参列者と共に語り故人との関わりを実感し、遺族へ生前の感謝を伝えたりなど、葬儀が家族以外の方にも必要な場として存在しているのではないでしょうか。
葬儀の形から考える
様々な形の葬儀がある中で、近年行われることの多い形式を大きく以下のように分類して考えてみたいと思います。
一般葬
身内だけではなく様々な方を呼んで行う葬儀のことで、付き合いが多い場合や故人や葬家の人間関係を重視した従来的な葬儀の形態です。
様々な葬儀が増えてきている中で、一般的に葬儀と言われて想像するのがこの一般葬である場合が多いのではないでしょうか。
故人と親しかった友人や関係者の方が故人との最後の時間を過ごせるので身内だけでなく、生前に付き合いのあった方々が故人とのお別れの場を共有できます。
この場合、一般葬は「故人のため」「残された家族のため」「残された友人のため」と広く多くの方のために行われる意味合いがあるのではないでしょうか。
家族葬
家族や親族等の近親者のみや、特に親しかった方が少人数参列するコンパクトな葬儀の形態です。
参列者の数が少なく、家族が故人との最後の時間をゆっくりと過ごしやすく、身内のみの小規模な葬儀の場合は参列者の事を気にすることなく、故人や家族の希望を形にした形式にとらわれることのない比較的自由な葬儀を行うこともできます。
この場合、家族葬は「故人のため」「残された家族のため」と一部の方ためにより深く行われる意味合いが強いのではないでしょうか。
一日葬
一般葬や家族葬は「お通夜」「葬儀式・告別式」と2日間行うのに対し、一日葬はその名の通り「お通夜」を行わずに1日で葬儀式から火葬まで行う葬儀の形態です。
参列者の数も少なく、親戚が遠方から来られる場合に1日で葬儀を終えることにより、家族や親戚の負担を軽減することができます。
この場合、一日葬は「故人のため」「残された家族のため」と一部の限られた方ために行われる意味合いが強いのではないでしょうか。
直葬・火葬式
「お通夜」「葬儀式・告別式」を行わずに火葬のみを行う葬儀の形態です。
亡くなられた所と供養する場所が離れている等で、先に火葬のみを行い後日葬儀(骨葬)を行う場合や、費用を抑えるためだったりと様々なケースがあります。
火葬炉の前で簡単なお別れをする場合や、宗教者が簡単な供養をする場合もあります。
この場合は大きく2つのケースに分かれます。
後日きちんと葬儀(骨葬)を行う場合
後々の事まで考えると「故人のため」「残された家族のため」「残された友人のため」と一般葬と同じく、広く多くの方のために行われるための第一段階であるといえるかもしれません。
後に葬儀を行わない場合
この場合は「残された家族のため」に行われる意味合いが強いのではないかと思います。
故人のためでもあるとは思いますが、基本的にはいかに費用や時間をかけずに行うか?といったところに主観が置かれている場合が多いのかと思います。
中には本来であれば「きちんと葬儀を行いたい」と思っていながらも費用の面で泣く泣く直送・火葬式を選択せざるをえないという方もいます。
そのような場合は「故人のため」としてもいいのかもしれませんね。
葬儀をどうとらえるか
葬儀とは故人とのお別れの場であり、時に宗教色が色濃く表れる儀式です。
故人のために行うことはもちろん、残された家族や友人が故人とお別れをし、自身の気持ちを整理したり、区切りをつけるためにも必要な儀式でもあると思います。
近年では高い葬儀費用や葬儀費用をいかに抑えるかに意識が行き、単純にご遺体をお骨にし、埋葬や散骨するためだけに「火葬のみを行う」という選択をされる方もいるかもしれません。
費用の面に意識がい行き過ぎて「葬送」本来の意味合いを忘れてしまっていませんか?
このブログを読んでくれているそこのあなた!
今一度「葬儀について考えてみる」いい機会なのかもしれませんね!