時には逆説的に考える~いち葬儀屋さんの雑記~

いち葬儀屋さんが葬儀関連をメインにそれ以外の事も「時には逆説的」に「時には普通」に考える超個人的ブログ

葬儀が簡素化していく事による弊害

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年々葬儀は簡素化、形骸化が進んでいます。

一般葬から家族葬へ、家族葬から一日葬へ、一日葬かた直送・火葬式へとまだまだ割合は少ないですが簡素化へと向けて確実に歩みを進めています。

そんな中、簡素化が進むことによってどのような事が起こるのか?それを考えていきたいと思います。

どんどん進む葬儀簡素化の傾向

特に都心部を中心として近年では家族葬用の小規模斎場が増えてきていたり、直送・火葬式など新しい形式の葬儀を専門に扱う業者が出てくるなど、費用の面や価値観の多様化等を理由に葬儀の簡素化、小規模化が進んでいます。

今回はそれらの是非は別とし、どのように簡素化が進んでいるのかをまとめます。

一般葬から家族葬へ

ご近所付き合いや親戚との関係の希薄化や個々の価値観の多様化により、従来型の葬儀の形から親族や故人との近しい関係の方のみを呼び、参列者の数を少人数にするとともに小規模化した家族葬という考え方がネットやメディアを通じて広がりました。

家族葬から一日葬へ

家族葬が世間に浸透すると、更に家族葬からお通夜を省略し、2日間かかっていた葬儀を1日で行うことで費用や身体的負担を軽減した一日葬という考え方が浸透していくこととなります。

一日葬から直送・火葬式へ

一日葬が浸透していくと、さらに一日葬から葬儀式・告別式を省略することにより最低限の事のみを行い、さらに費用や身体的負担を軽減した直送・火葬式という「ある種究極」の考え方が出てくることとなります。

簡素化によって起きている現象

葬儀が簡素化していくことにより、日常生活を送っているうえでは気づき(表面化し)にくい現象(問題)が発生していることを、葬儀業界にいることで気づきました。

葬儀に参列したことがない

家族葬が増えることにより葬儀に呼ぶ参列者は少人数になる傾向になります。

呼ぶ参列者が少なくなるという事は、逆に呼ばれる機会が少なることでもあります。

また、価値観の多様化により子供の学校の事情などで子供は葬儀に参加させないといった方も見受けられます。

そうした事で「葬儀に参列したことがない」といった方が若い世代を中心に増えてきています。

葬儀に参列したことがないということは、葬儀がどのようなものであるか「自分が葬儀を行う立場になるまで分からない」ということになってしまいかねません。

葬儀に関して考える機会の損失

葬儀に参列すると参列した葬儀を見て、自分の時は「こんな葬儀にしたいなぁ」とおぼろげに考えたり、親の葬儀について考えたりすることもあるでしょう。

しかし、葬儀に参列する機会がないので葬儀について考える機会も自ずと少なくなってしまうでしょう。

実際に葬儀について考える機会が来るのは「自分が年をとった時」か「近親者に重い病を患った方が出てきた時」くらいになってしまうのではないでしょうか。

その時が来て「初めて考え調べる」のと、おぼろげながらでも「前から少し考え調べていた」のでは大きく差ができてしまうかもしれません。

死を感じる機会の損失

葬儀というものは嫌でも死を意識し感じる場であると共に、普段考える事があまりない死について考えさせられます。

葬儀に参列することがないと、その機会を逃してしまうことになります。

ひと昔前に子供の中には「ゲームやアニメの中のキャラクターと同じように人間も死んだらまた生き返る」と思っている子もいるというような議論がありましたが、死に触れる機会がないということも一つの要因になるのではないかと思ってしまいます。

更に簡素化・形骸化の進行 

前項でも触れたように、葬儀そのものに関わる事が少なくなり、葬儀に参列したこともないといった世代が増えてくると、葬儀に内容がよく分からないので葬儀社に言われるがまま葬儀を行うか、費用に目を向けた結果「簡素化・形骸化した葬儀の選択をする」といったことが増えてくるのかと思います。

そうなると次の世代は更に葬儀に触れる機会がなくなっていき、どんどん葬儀の簡素化のスパイラルに陥っていくのではないかと思ってしまいます。

また、簡素化された葬儀しか体験しなかった子供世代は葬儀自体をそういうものであると思い、自分が亡くなり子供世代が自分の葬儀を行う時、たとえ金銭的余裕や希望する葬儀形式があったとしても簡素化された葬儀しかあげてもらえない可能性も出てきてしまいます。

今後葬儀はどうなって行くのか

近年の葬儀に対する簡素化・形骸化の流れを作ってしまったのは紛れもなく平成期の葬儀業界の功績であり責任でもあります。

今後、この流れを「加速させていくのか」「葬儀に対する価値観を再構築できるのか」それは「今」葬祭業に携わっている人間がどうしていくか、「これから」葬祭業に新規参入してくる人間がどのような想いをもって参入してくるか、にかかっているかもしれません。

平成という葬祭業が激変した時代にうまく対応できなかった昭和感覚から抜け出せなかった葬儀社はこれから迎えるい新元号の新たな時代をどのように生き抜いていくのだろうか。

また、葬儀社だけでなく消費者である葬家も情報化が進む近代社会において「いかに情報を集め、精査していくか」が重要になってきているのではないでしょうか。

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葬儀について、死について考えてみるいい機会かもしれないですね!